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Ryan Francois氏のTEDでの講演をご紹介

2020.05.06

フランキー・マニング Frankie Manningの弟子であるスーパーダンサー、ライアン・フランソワ (Ryan Francois)氏が、Lindy Hopについて講演している動画です。このTEDでのオーディエンスの人々は、Lindy Hopに馴染みのない方が多いようで、ライアンはリンディーホップの歴史から丁寧に解説してくれています。
また、後半は、1980年以降のリンディーリバイバルと、近年のインターネットの発達などを絡めて、彼の考えを語ってくれています。

以下、私が任意で選んだポイントと思われるところを抜粋して要約を載せます。

0:45 Lindy Hop という名前は...

1927年、チャールズリンドバーグという若いパイロットは、The Spirit of St. Louisという名の飛行機に乗り、世界初の大西洋横断(ニューヨークからパリへの単独飛行)を成し遂げた。この歴史的な出来事を、ニューヨークタイムズは一面で、「リンディは大西洋を飛び越える」(Lindy Hops the Atlantic)と書きました。

In 1927, a young aviator called Charles Lindbergh flew the first solo flight across the Atlantic Ocean.
He flew from New York City to Paris in "The Spirit of St. Louis." The front page headlines of the New York Times, to celebrate this particular historic event read, "Lindy hops the Atlantic." This not only inspired a nation, the headline also gave its name to a new dance style that was growing in Harlem. They called it the Lindy hop.

2:08 エアステップを始めたのはFrankie

最初の頃は誰もエアステップ(エアリアル)をやっていなかったが、才能のあふれる若き日のフランキーマニングが最初にエアステップを発明してから、他のダンサーもエアステップをやるようになった。

At first, the Lindy hoppers would only do what we call floor steps, meaning they didn't really take their feet off the ground, until a young and very talented man called Frankie Manning invented the first air step.

3:18 ジッターバグ

元々はアフリカ系アメリカ人のダンスだったが、ジッターバグとして知られるようになったリンディーホップは、ベニーグッドマンのコンサートに触発されて、特に第二次世界大戦中に白人たちの間で流行した。

Originally an African-American black dance, and in part inspired by Benny Goodman's concert at Carnegie Hall in 1938, the Lindy hop became known as the jitterbug.
In contrast to the African American style, though, this new dance craze was mainly for a white populace, particularly during the Second World War.

3:18 リンディーリバイバル

1980年代に、ライアンを含む米国、イギリス、スェーデンからの若者たちが古い映像に即発されて、リンディーリバイバル(リンディーホップを現代に復活させる動き)を始めた。

That is until the 1980s, when, inspired by old movie clips, a bunch of young new dancers from the UK, from Sweden, from the USA - myself included - started what we called the Lindy revival.

以下は、ネットの発展とリンディーホップの多様性について

要約して書きます。
リンディリバイバル当時はネットがまだ発達していなかったため、地域ごとの踊り方に違いがあり、イギリス、ニューヨーク、カリフォルニア、スウェーデンなどそれぞれの地域で独特のスウィングアウトがあった。
(カリフォルニアのPasadenaのスウィングアウトはHollywood Styleで、この時から、このHollywood Styleという呼び名ができた)

ネットの発展により、世界中のリンディーホッパーが互いに認識し合い、自分たちのダンスをシェアし合うようになり、私はインターネットに、私のリンディーホップを世界に広めてくれてありがとうと言いたい。
しかし同時に世界中のSwingOutがほとんど同じようになってしまっており、私はリンディーホップの個々人の独創性が好きです。
人と違うことを悪と思わず、恐れずにいてほしい。
違うアイディアを持つこに何も問題はなく、個性があってこそ。

まとめ

以上、Ryan Francois氏の講演動画のご紹介でした。いかがでしたでしょうか。
一度は衰退したリンディーホップがリバイバルし、今日には世界中でたくさんの人が踊っていることは、フランキーやライアンの努力があってこそですが、同時にインターネットというテクノロジーも大きく貢献しています。
この記事を書いている今現在は、新型コロナウイルスが猛威を奮っており、かつてないほどにインターネットが役立っています。そうした技術も活用しながら、地域やコミュニティーのつながり、個々人の個性の大切さも意識したいものです。そして寛容と多様性に富んだダンスコミュニティーがこれから続いていくことを望みます。

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